仕事でも、キャリアでも、人生でも、
「より良い選択をしたい」と考えるのは、ごく自然なことだと思います。
できるだけ効率よく
できるだけ無駄なく
できるだけ失敗しないように
そうやって、少しでも“良さそうなルート”を選び続けてきたはずなのに、
気づくと、以前よりもしんどくなっている。
そんな感覚を持ったことがある人は、
決して少なくないのではないでしょうか。
最適化は、基本的には善である
まず前提として、
最適化そのものが悪いわけではありません。
医療の現場でも、
- 限られた時間で
- 限られた資源を使って
- 最大の効果を出す
という考え方は、極めて重要です。
仕事においても、
- フィードバックが得られやすい業務を選ぶ
- 応用の効くスキルを優先する
- 評価につながりやすい場所に身を置く
といった判断は、合理的で、むしろ健全です。
問題は、最適化が可能な場面は限られているということです。
最適化は「正解がある」という前提に依存している
最適化という言葉は、
暗黙のうちに、次のような前提を含んでいます。
- 正解が存在する
- 正解に近づくほど良い
- 間違った選択は避けるべきである
ところが、仕事や人生においては、
この前提が成り立たない場面の方が、圧倒的に多い。
- 事前に正解はわからない
- 選ばなかった道の結果は検証できない
- 環境が変われば、評価軸も変わる
正解があるゲームというのは、人生の中でもごく一部に限られます。
つまり、最適化を至上命題とすると、人生のほとんどにおいて、
正解がない領域に対して、正解があるかのように最適化をかけ続ける
ことになります。
ここに、しんどさの種があります。
最適化が進むほど、余白は削られていく
最適化を進めると、
次第に「余白」が削られていきます。
- 無駄に見える経験
- 直接評価されない行動
- 今すぐ役に立たない学び
こうしたものは、
最適化の視点から見ると、
真っ先に切り捨てられがちです。
合理的に考えれば、それは正しい。
しかし、ここで一つ、見落とされやすい点があります。
応用能力は、余白の中で育つ
不確実性の高い状況で必要になる力は、
往々にして、事前に定義されたスキルではありません。
- 文脈を読み替える力
- 既存の知識を横断的につなぐ感覚
- 想定外に出会ったときの立て直し方
こうした力は、
一直線に最適化された経路の上では、
あまり育ちません。
むしろ、
- 少し遠回りした経験
- 当時は意味がわからなかった学び
- 評価もされず、役にも立たなかった時間
そうした「余白」の中で、
あとから効いてくる形で立ち上がってくることが多い。
余白とは、
無駄ではなく、不確実性に対する緩衝材のようなものだと感じています。
余白は「知識の幅」と「耐久性」を同時に広げる
余白を残した選択は、
短期的には非効率に見えるかもしれません。
ただ、その代わりに、
- 特定の分野に閉じない知識の幅
- 一つの前提が崩れても立て直せる耐久性
- 環境変化に対する応答の選択肢
が、少しずつ積み上がっていきます。
最適化が
「ある条件下での最高性能」を引き出す行為だとすれば、
余白を持つことは、
「条件が変わったときにも破綻しにくくする」行為だと言えるかもしれません。
評価軸を外部に置きすぎると、人は消耗する
最適化が進むと、
評価軸は次第に外部化されていきます。
- 今、評価されているか
- 周囲からどう見られるか
- この選択は「正しい」と言われるか
もちろん、これを完全に無視することはできません。
ただ、それだけで判断するようになると、
- 自分はなぜこれをやっているのか
- どこまでなら引き受けられるのか
といった内的な基準が、
少しずつ弱くなっていきます。
結果として、
- 正しいはずなのに、満足感がない
- 間違っていないのに、疲れが取れない
という状態に陥りやすくなる。
最適化ではなく、余白を探すという態度
不確実性の高い世界で生きる以上、
すべてを最適化することはできません。
それならば、
- どこを最適化し
- どこに余白を残すか
を、自分なりに判断する。
余白を探すことは、
「本気でやらない」という意味ではありません。
むしろ、
- 知識と経験の幅を広げ
- 応用能力を鍛え
- 変化に耐える構造をつくる
ための、かなり現実的な選択だと思っています。
最短距離ではないかもしれない。
でも、不確実性の中では、
遠回りできること自体が、強さになる。
今のところ、私はそう考えています。
おしまい。



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