私は自由気ままに生きるタイプの人間で、大学を卒業するまでは「社会人」として生きることにうっすらと抵抗を感じていました。
ところが最近、社会生活というものが思っていたよりも楽しいと感じられてしまっています。
社会生活という「ゲーム性」
組織の中でそれなりに評価されること。
周囲から信頼されること。
「この人に任せれば大丈夫」と思ってもらえること。
こうしたものを得点と考えるなら、
社会生活というのは、なかなかよくできたゲームなのかもしれません。
ルールは比較的はっきりしていて、
何をすれば評価されやすいかも、ある程度わかります。
気づけば自分も、
そのルールを理解し、
それなりにうまく立ち回れるようになってきました。
そして少し厄介だなと思うのは、
その状態を自分自身がわりと心地よく感じていることです。
以前の自分との違い
以前の自分は、もう少し違ったと思います。
誰にどう思われるかはあまり気にせず、
自分が面白いと思ったことだけをやり、
今思えば少し無駄だったり、愚かだったりする選択も、
わりと平気でしていました。
効率や合理性よりも、
「自分が興味を持てるかどうか」が基準でした。
というよりも、私の中ではそれが最も合理的な判断であると信じていました。
ルールのある環境に身を置いてみて
今は、そういう環境ではありません。
ルールがあり、
役割があり、
期待されていることがあり、
それに応えることで評価や報酬が返ってきます。
しかも、その仕組みが
思った以上にうまく回ってしまっています。
「社会人になったんだな」
そんなことを、
少し遅れて実感しています。
外的なモチベーションで動いている自分
正直に言うと、
本来自分がやりたいこととは少し違うはずの仕事にも、
それなりのやりがいやモチベーションを感じています。
それは、
- 同僚から評価される
- 上司から信頼される
- 組織の中で役割を果たしている実感がある
といった、外的な要因による部分が大きいです。
これまで、
「自分自身の好奇心」という内的なモチベーションを頼りに選択してきた身としては、
この感覚はとても新鮮です。
同時に、
どこか居心地の悪さもあります。
報酬の魅力
とはいえ、
与えられた仕事を責任をもってこなし、
それなりの報酬をもらうという仕組み自体は、
冷静に考えてかなり魅力的です。
ここで言う報酬は、
お金だけではありません。
- 社会的な信用
- 必要とされている感覚
- 評価されることによる安心感
こうしたものも含まれています。
褒められることが苦手だった理由
昔から、
人に褒められることはあまり得意ではありませんでした。
今になって思うのは、
それが単なる性格の問題というより、
外的な評価によって、自分の判断が変わってしまうことへの警戒
だったのかもしれない、ということです。
評価されることで、
本来自分が選ばなかったかもしれない行動を、
無意識に選んでしまう。
その感覚を、
どこかで避けていたのだと思います。
評価との付き合い方
ただ、組織で働く以上、
他人に評価されることは避けられません。
評価を完全に無視することも、
現実的ではありません。
問題は、
評価されるかどうかではなく、
評価とどう付き合うかなのだと思います。
そして今の自分は、
評価を原動力のひとつとして使いながら、
そのゲームをそれなりに楽しんでいます。
最適化しすぎないために
この変化が良いのか悪いのかは、
まだはっきりとはわかりません。
内的な動機だけで動いていた過去の自分と、
外的な評価をうまく使い始めた今の自分。
そのあいだを行ったり来たりしている、
という感覚が近い気がします。
以前書いたように、
最適化しすぎると、人はしんどくなります。
評価に最適化しすぎると、
判断基準が外に出てしまいます。
一方で、
評価を完全に拒否するのも、
現実的ではありません。
今のところの結論
社会生活というゲームは、
思ったより楽しいです。
だからこそ、
その楽しさに流されすぎないように。
自分が今、
どんなルールで動いているのか。
どんな報酬に反応しているのか。
そのあたりを、ときどき立ち止まって考えながら、
仕事を続けていければいいかな、と思っています。
おしまい




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