仕事とは、社会と自分を接続するインターフェースである

仕事論

「君たちには指示を待つのではなく、仕事をもらいにいく姿勢で業務に臨んでほしい」
「自分から仕事をとりに行かないと、同期にどんどん差をつけられるよ」
これは、私が働き始めたころ、最初の挨拶の時点で上司の1人に言われたセリフです。
当時はこの発言を聞いて、まったく意味が分からなかったことを覚えています。

同じ給料をもらっているのであれば、同期より仕事をすることはすなわち損であるはずです。
なぜ、同期より仕事ができる状態を目指さなければならないのか。
指導する側であるはずの上司が、そんなよくわからない理屈で指導を放棄したうえに、若手に無理な労働を課すのはどうなのか。

私は当時、新卒1年目の8月でした。
社会人になりたてであった上に、その上司の仕事にほとんど興味がなかったこともあり、「この人は何を言っているんだ?」と強烈に思ったことを覚えています。

もちろん今となっては、当時の考えの未熟さを恥じるばかりです。
最近になってやっと、なぜ「仕事ができる」を目指すべきなのかが、自分の中で整理できました。
これは単に、上司のポジショントークであったというだけではありません。

より良い仕事を提供できる人は、それを社会生活における資源として活用できるのです。
もっと言えば、「仕事ができる」は、権力なのです。


当時の私は、「仕事ができる」という状態を、評価が上がるとか、昇進しやすくなるとか、そういった組織の中だけで完結する話だと考えていました。
出世にも評価にも興味がなかった私にとって、同じ給料なのに仕事量を増やす意味は分かりませんでした。

それは一見すると合理的ですが、今振り返れば、視野が極端に狭かったのだと思います。

仕事について考えるとき、私たちはいつの間にか、「生計を立てる手段」「お金を得る行為」という一点に、思考を収束させてしまいがちです。
けれども本当に、仕事とはそれだけのものなのでしょうか。

この違和感を、かなり正確に言語化してくれた一節があります。

「労働はそれ自体として固有の原理を持つ独立的な領域というよりも、こうした社会関係の場の一つとみなされ、活用されているということができるに違いない。彼らは、労働の場でも自らの社会関係を積極的に利用しているし、労働を通して社会関係をさらに活性化させてもいる。しかしこのことは、労働がそうした場の一つでしかない、ということでもある。
(中略)
たとえば、彼らにとって理想的な働き方とは、自分の裁量で社会関係を操作することができる自営的な働き方である。成功すれば、社会的な評価とともに金銭などの個人的な欲望も満足させられる。」

『仕事の人類学』中谷文美・宇田川妙子

ここで語られているのは、仕事とは「独立した領域」ではなく、社会関係の一つの場にすぎない、という視点です。
そして同時に、仕事は社会関係を利用し、社会関係をさらに活性化させる装置でもある。

この見方を踏まえると、仕事というものは大きく変わって見えてきます。


仕事とは、社会と自分を接続するインターフェースである。

単なる賃労働と、ここで言及されている「仕事」は、明らかに異なるものです。
自営的な仕事においては、次のような行為が日常的に行われます。

コネを使って職を得る。
仕事を通じて新たな関係をつくる。
世話になった人への恩返しとして仕事を引き受ける。
良い関係を維持するために、あえて安く仕事をする。
信頼関係を壊さないように、仕事を頼んだり、断ったりする。

これらはすべて、仕事が社会と自分を接続し、その関係性を操作するインターフェースとして機能している例です。
言われたことを決められた範囲でこなすだけの賃労働では、このような関係操作はほとんど発生しません。

仕事を「社会関係を操作するためのインターフェース」と捉え直すと、働くことの意味は大きく変わります。
賃労働の中で人的資本を積み上げながら、信用や役割、関係といったものにおいて資産性の高い状態を構築し、それを自らの社会的な成功や生存戦略につなげることが可能になります。

「仕事ができる」というのは、単に上司に評価されることではありません。
社会関係を操作するインターフェースを、自分の手で磨いていくことです。
そのインターフェースの強度次第で、大きな社会的成功を導くこともできるのです。

その戦略についてまとめていこうと思います。

おしまい

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