気管挿管の途中で、勝手に手伝ってくる鬱陶しい上司がいるんです。
同期にその話をしてみたら「え、俺はあの先生に途中で手出しされたことないよ。むしろ助けてほしいときにも手伝ってくれないくらい。」と言われたんです。
え、それってシンプルに私が信用されていなかっただけでは…?
言われてみれば、思い当たる節はあります。
私はかなり慎重なタイプなので、いちいち「エピグロ(喉頭蓋)見えました」とか口に出したり、体をかがめて覗き込んで挿管したりしていたので、それが傍目からは下手そうに見えたのかもしれません。
いちいち声に出すのは同意を求めているように見えたのかもしれないし、何事もへっぴり腰はカッコ悪いですし。
そういうところが信用に足らないと判断されたのかも。
私はそんなに挿管を失敗することもないし、難しい挿管の時にはしかるべき対応策をとるので、そこまでひどい挿管をしているつもりはないんですけどね…
手を出してくる上司は一人だけで、他の上司はしっかりと私に任せてくれていますし。
まあ結局、同期との話は、「ぜんぜん信用されてないだけやんけ!笑笑」と笑い話で終わったのですが、
「下手そうだと信用されず仕事を任されない」というのは恐ろしいことですね。
もし上司がみんな途中で手出ししてくるようであれば、私はまともに経験を積むことができないまま、です。
経験を積めなければ、当然上達は妨げられます。つまり下手になります。
見た目が下手そうであるという評価が、実際に下手であるという現実になってしまう。
幸い、私の場合は手出ししてくるのは例の上司だけだったけど、運が悪ければ他の上司からも手出しされて全く経験を積めなかったかもしれません。
そうなると「下手の現実化」が起きてしまっていたかも。
逆に、見た目が上手そうであれば割とすんなり信頼されて、いろんな経験を積むことができる、ということもありそうです。
手出しをされなかったという同期は、「かっこよく挿管する」ということを意識していたそう。
そんなことだから、彼は逆に、うまく挿管できずに失敗が続いている時も全く手助けが来なかったんだとか。それはそれで災難ですけどね。
そういう意味では、「上手そうにみせる」「かっこよくこなす」というのは案外大事かもしれません。
これは何も挿管に限ったことではなく、どんな手技にも、どんな仕事にも言えそうです。
組織で働く上では、必ず他者の評価に晒されることになりますからね。
おしまい
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