Aさんはある事故で右手が麻痺してしまいました。
運が悪いことにAさんは右利きです。
医者は、Aさんのこの麻痺が回復する可能性はとても低いといいます。
Aさんはもう一度文字を書けるようになりたい一心で、麻痺から回復すべく過酷な右手のリハビリを頑張っていました、、
この話、どうでしょうか。
カンのいい人、柔軟な人はこの話を聞いて
左手で字を書けば良くない?
と思ったかも知れません。
右手の麻痺を治すという手段にこだわらず問題を解決するという発想の転換です。
一般的に、左手での書字は3ヶ月ほどで習得できるといいます。
一生回復しないかも知れない右手の麻痺にこだわるよりずっと合理的ですよね。
こういった考え方は、ラテラルシンキングと呼ばれているみたいです。
ビジネスなどでよく使われる概念ですが、
これは医療の現場にも応用できるんじゃないか。
今回はそんな話です。
原因を取り除こうと考えるのはロジカルシンキング的
右手の麻痺を治そうと考えていたのは、ロジカルシンキング的な発想です。
それが、他の合理的な解決策を見落とした原因となっています。
ここでは、ロジカルシンキング的とは
問題の原因を探し出し、それを取り除く
という点を指して言っています。
(MECEや三角ロジックなどのコンサル的なロジカルシンキングというよりも、
PならばQという命題を探し出し、Qを避けるためPを取り除くというプロセスに注目しています。)
もう少し詳しくみてみます。
医学では、人間の障害を階層で捉えます。
ある病気にかかると、
まず機能障害が生じる。
先程の例で言えば右手の麻痺がこれにあたります。
そして機能障害が、
能力低下へと繋がる。
右手の麻痺が、Aさんから字を書く能力を奪いました。
この能力低下が、最終的には
社会的不利へと繋がる。
字を書けなくなったAさんは、学業や仕事に支障が出たりします。
このように、機能障害→能力低下→社会的不利というふうに、上流が下流に影響を与えているのが分かると思います。
これを相互依存性といいます。
下流は、より上流のものに依存している、影響をうけているということです。
右手の麻痺を治そうと一生懸命になるのは、この相互依存性に基づいています。
麻痺があるから字が書けない
字が書けないから学業・仕事に支障が出る
というふうに捉えているので、全ての原因である麻痺を治そう、というふうに考えたわけです。
原因と結果を探し出し、原因に焦点を合わせる。
とてもロジカルシンキング的なアプローチです。
しかし、これは
麻痺があるからといって必ず字が書けないわけではない
ということを見落としています。
この「必ずしも〜ではない」というのは、
相対的独立性と言われています。
たしかに、字を書く能力は右手麻痺の影響を大きく受けます。
しかし、右手の麻痺があるからと言って必ず字が書けなくなるわけじゃありません。
それは左手で字を書く練習をすればいいことから明らかです。
この相対的独立性は、ロジカルシンキングでは見落とされてしまいました。
これは、ロジカルシンキングが抽象化によって現象を捉えることが原因なんです。
相対的独立性を無視したのはMECEを考えなかったからであって、単なるロジカルシンキングの失敗ではないか
というツッコミが聞こえてきそうですが、そのとおりです。
ただ、問題はロジカルシンキングは無視とセットで、必ず失敗の可能性を持っているということなんです。
これについては後で見てみます。
ロジカルシンキングには「無視」が不可欠
ロジカルシンキング的な発想では、左手で書けばいいという簡単な解決策が見落とされました。なぜでしょうか。
実は、ロジカルシンキングは
情報を捨てることで、論理を見つけ出しているから
なんです。
現実世界というのは無限の情報にあふれ、混沌としています。そこには論理などというものはありません。
ロジカルシンキングをするためには、その混沌から本質となる部分を抜き出し、本質でない部分を無視するというプロセスを踏みます。
これが抽象化と捨象と呼ばれるものです。
本質を抽出するのが抽象
本質でないものを捨てるのが捨象
抽象化・捨象のプロセスを通して初めて、ロジカルシンキングが始まります。
先程の例では、相対的独立性は本質的でないとして捨象されてしまったのです。
これはロジカルシンキングの性質上、避けることのできないものなんです。
確かに、冒頭の例はとても単純なものだったので、すこし考え方を変えるだけで解決できてしまいました。
しかし、もっと複雑なものだとなかなか気づけないことも多くなります。
複雑さが原因でロジカルシンキングが失敗した例
たとえば、心臓病を治療するための強心薬という薬があります。
この薬は、心臓の機能を助けてくれる薬です。
患者の症状を軽減してくれるだろうということで、慢性心不全の治療に使われていました。
心臓機能が悪いのだから、そこを補助すれば良いだろうという、極めてロジカルシンキング的なアプローチです。
しかし、これは誤っていたことが後に明らかになります。
なんと、強心薬を使っていた慢性心不全患者は、そうでない患者に比べて長生きできないことがわかったんです。
心臓の機能は回復していたのにもかかわらず、ですよ。
心臓の機能が回復すれば長生きする、なんて簡単な問題じゃなかったんですね。
このように複雑な例になると、そもそもMECEを分析し尽くすことができないことが出てくるわけです。
これがロジカルシンキングの限界です。
では左手を使ってみようと考えるのはラテラルシンキング的
ラテラルシンキングとは、あえて常識を疑ってみたり、論理ではなく連想でアイデアを出してみたり、ということで問題解決を図るアプローチです。
感覚や経験を重視する、経験主義的なアプローチとも言えます。
これは論理を重視する、合理主義的なロジカルシンキングとは正反対のアプローチです。
このラテラルシンキングを使えば、
ロジカルシンキングで無視されていた部分にも光をあてることができます。
ロジックでは絶対にたどり着かない場所へと、ひらめきによってジャンプすることができるのです。
右手が使えないので、できるだけ右手の機能を回復させよう
というのがロジカルシンキングなら、
右手が使えないなら左手を使えばいいじゃない
というのがラテラルシンキングですね。
冒頭の話は、まさにラテラルシンキング的だったんです。
複雑な世界ではロジカルシンキングの限界が目立つ
人体はとても複雑です。
医学とは、
人体という無限の情報の海から、
大量の情報を削ぎ落としたものの集合体です。
基本的にはロジカルシンキングの上で成り立っています。
しかし、この方法は、対象があまりにも複雑だと見落としのリスクがでてきます。
複雑なものだと、当然ですが何が本質かを見極めるのは難しくなります。
そうなると、本質でないと思って捨てた部分が、実は本質的に重要だったということが起こりえるんです。
さらに、人間は
生物学的な側面だけでなく、
心理的側面、社会的側面からも影響を受けます。
ただえさえ複雑な人体に、これまた複雑な精神や社会というものが影響してくるのです。
こんなに複雑だと、見落としリスクは無視できません。
さきほどの心臓病の例などがそうですね。
とはいっても、ひらめきで治療をしていいというわけではないことに注意してください。
薬や手術などの治療法は、相当の研究の末、有効性が証明されているものばかりです。
これを覆すにはそれなりの根拠が必要になります。
医療行為にはゴリゴリのロジカルシンキングが必要です。
心臓病の例も、しっかりと科学的な調査によって示されています。
科学的根拠のないひらめきによる治療なんかは絶対にしてはいけません。
しかし、心理・社会的側面に関してはちょっと話が変わってきます。
患者さんが何を幸せと感じるか、何を目指すかという部分に関しては、実際にその患者さんと向き合って初めてわかるものです。
そこでは、既存の理論に当てはめるというロジカルシンキングよりも、
理屈に縛られないラテラルシンキングのほうが有効であることも多いんです。
私達医学生は、普段はロジカルシンキング的なアプローチを中心とした教育を受けます。
しかし、患者さんの心理・社会的側面をサポートする際には、ラテラルシンキングも取り入れてみたほうがいいかもしれないな。
そう思いました。
もちろん、基本となるロジックを身につけた上で、です。
「守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」
守破離の精神です。
おしまい。
参考書
ラテラルシンキングについて興味が湧いた方には、『ずるい考え方 ゼロから始めるラテラルシンキング入門』という本がおすすめです。
内容もわかりやすく、軽めの本なのでさっと読めます。
プライムリーディングでも読めるのでぜひ読んでみてください。
コメント